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マチュピチュ村の初代村長の野内与吉の生い立ちは?功績や現地の反応も

マチュピチュ村の初代村長の野内与吉の生い立ちは?功績や現地の反応も

ペルーの有名な世界遺産マチュピチュですが、古代インカ帝国の都市遺跡として人気の観光スポットとなっています。そんなマチュピチュ遺跡のふもとにあるマチュピチュ村の初代村長は、実は日本人なのをご存知でしょうか。本記事では、マチュピチュ村の初代村長である野内与吉の生い立ちや功績、現地の反応について詳しくご紹介します。

マチュピチュ村の歴史

マチュピチュといえば、マチュピチュ遺跡を思い浮かべる人が多いと思いますが、マチュピチュ村はその遺跡のふもとにある村のことです。そんなマチュピチュ村の歴史を時代の流れに沿ってご紹介します。

インカ時代(15~16世紀)

約1450年頃、インカ帝国の皇帝パチャクテクの時代にマチュピチュ遺跡が建設されました。しかし現在のマチュピチュ村には、当時から大きな町があったわけではありません。

周辺には農地や山道はありましたが、現在の村がある場所は険しい渓谷で、人が定住する場所ではありませんでした。遺跡は16世紀のスペイン征服の混乱の中で放棄され、その後数百年にわたり密林に覆われます。

1901年:村の始まり

現在の村の歴史は1901年に始まります。ペルー政府はクスコとアマゾン側を結ぶ鉄道建設を計画し、その工事関係者がこの場所に小さな集落を作りました。

当時の名前はマキナチャヨック(Maquinachayoq)で、「機械のある場所」「機関車のある場所」という意味で、まだ数軒の家しかない鉄道作業員のキャンプでした。

1911年:マチュピチュ遺跡が世界に知られる

1911年に、アメリカの探検家であるハイラム・ビンガム が地元住民の案内でマチュピチュ遺跡を世界に紹介しました。「発見者」と呼ばれることもありますが、実際には地元の農民たちは以前から遺跡の存在を知っていました。ビンガムがその価値を世界に広めた、というのが現在の理解です。

1920年代:鉄道の建設で人口が増える

1920年代後半になると鉄道工事が本格化し、多くの作業員が移り住みました。1931年に鉄道が完成すると、多くの人はそのままこの地に定住します。これが現在のマチュピチュ村の基礎になりました。

1983年 世界遺産へ登録

1960年代頃までは、静かな山村でした。その後、1983年に世界遺産へ登録され村の観光インフラの整備が進み、世界中から観光客が訪れる町へと急成長しました。現在ではマチュピチュ村の人口は数千人規模となっており、年間では非常に多くの観光客が通過する、ペルー有数の観光拠点になっています。現在のマチュピチュ村にはホテル、レストラン、お土産店、マチュピチュ行きシャトルバス乗り場などがあり、マチュピチュ遺跡を目指す人はマチュピチュ村のホテルに宿泊する人が多いです。

マチュピチュ村の初代村長は日本人!

マチュピチュ村の初代村長は、福島県出身の日本人、野内与吉です。マチュピチュ村は、1941年10月に行政区分によりマチュピチュ集落から現在のマチュピチュ村となりました。

その後、村の川が氾濫し村民が政府に救援を要請した際に、復興のために政府からの命令で野内与吉が村長に就任したことで、事実上のマチュピチュ村初代村長となりました。

1958年、三笠宮崇仁親王がマチュピチュを訪問した際、野内与吉の娘であるオルガさんが花束を贈呈したことが日本で報じられたことがきっかけで、故郷の親族が野内与吉の消息を知ることになり、そこから日本でも野内与吉の存在が知られるようになりました。

野内与吉の生い立ち

野内与吉は1895年11月18日に福島県安達郡玉井村で生まれ、比較的裕福な農家の家で育ちました。当時は海外移民ブームで、「海外で成功したい」という夢を持っていたそうです。

1917年、21歳の時に契約移民としてペルーへ向かい、1923年よりペルー国鉄に勤務し、当時建設されていたクスコ〜マチュピチュ鉄道の工事や運転に携わります。この鉄道こそ、現在ほぼ全ての観光客が利用するマチュピチュへの生命線です。以降、野内与吉は本格的にマチュピチュに移住しました。

功績

野内与吉の功績は多く、マチュピチュに様々なものを作りました。

まずは山から水路を作り生活用水を確保し、畑も作りました。さらに、川を利用して小さな水力発電所を建設し、村へ電気を届けるなど、村の生活基盤を整えました。

1935年には、村で初の本格的木造建築である「ホテル・ノウチ」を建設します。3階建てで21部屋を持つ立派なホテルで、野内与吉はこのホテルを村のために提供し、1階は村の郵便局や交番として無償で貸していたそうです。また、後には2階も村長室や裁判所として使用されていたようで、ホテル・ノウチを中心にマチュピチュ村は発展していきました。

現地の反応

現地では、野内与吉の功績に対して「村を作った人」という認識が非常に強くあり、単なる初代村長ではなく、建国の父のような存在として語られています。

野内与吉は村で故障した機械も修理していたそうで、労をいとわずマチュピチュ村のために尽くした人として村人たちからは喜ばれていたようです。近年の現地取材では、現職の村長も野内与吉の功績を高く評価しており、日本との交流を大切にしたいと語っています。

現在は、野内与吉の孫である野内セサル良郎さんが、祖父の功績を後世に語り継ぐ活動をしています。

マチュピチュ村への行き方

まずはペルーの首都リマへ行き、国内線でクスコへ向かいます。日本からリマへの直行便はないので、アメリカやカナダなどの都市で乗り継ぎが必要になります。

このクスコという街がすでに標高約3,400mあり、高山病対策としてクスコに1日滞在するのがおすすめです。クスコからはオリャンタイタンボ駅へ向かい(バス又はタクシーで約1時間40分)、そこからマチュピチュ村行の列車が出ており、1時間45分ほどで村に到着します。マチュピチュ村へ行く途中の車窓から見える景色も圧巻で、日本では味わえない旅をすることができます。マチュピチュ村は温泉も有名で、どこか日本の温泉街を思わせる景色もあります。マチュピチュ村への列車や、マチュピチュ遺跡に入るチケットは事前に予約しておくのがおすすめです。

まとめ

今回は、マチュピチュ村の初代村長である野内与吉について詳しくご紹介しました。日本人でありながら異国の地で村長を務めるなんてすごいですよね。何もない集落から生活基盤となる様々なインフラや施設を作り、多くの功績を挙げました。現在は観光地としてにぎわっており、是非一度訪れてほしい世界遺産の一つです。