本日はお悔やみです。
人気番組「ぴったしカン・カン」でおなじみの小島一慶さんが亡くなりました。
2020年4月23日(木)に都内の病院で、とのことです。
ご冥福をお祈りいたします。
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小島一慶さんの死因は?
小島一慶さんの死因は肺がんよ。
ひょっとして新型コロナウイルスかと思ったわ・・・。
小島一慶さんは趣味は麻雀とパチンコなの。
麻雀は大学生の時にアルバイト先で麻雀を覚えて以来、病み付きになったのよ。
若手の頃は、ディレクターやスタッフ、TBSの在る赤坂の町内会の人達ともよく雀卓を囲んでいたという話よ。
もう麻雀とパチンコとタバコはセットのようなものよね。
小島一慶さんはヘビースモーカーだったんだわ。
小島一慶さんの現在は?
まだお通夜や告別式、お別れ会などの詳細は発表されていないわ。
分かり次第、こちらに追記するわね。
小島一慶さんの経歴
小島一慶(こじま いっけい)さんは日本のフリーアナウンサーで、元TBSアナウンサー。
1944年10月2日生まれの享年75歳。長崎県長崎市出身よ。
本名は同じだけど「かずよし」と読むわ。
奥さんはTBSにアナウンサー同期の池田園子さん。
小島一慶さんは元々役者志望よ。
舞台中継を希望していたけれど、1968年にTBSに入社してアナウンサーになったわ。
独特の甲高い声と軽妙な語り口が持ち味。
TBSのアナウンサーだけど、いくつもの冠ラジオ番組を持ち“ラジオ界のレジェンド”として超人気だったわ。
深夜番組で若者層を開拓し、「話のデフォルメをさせたら当代一だった」と言われるほどよ。
先輩の久米宏に続いて人気番組「ぴったし カン・カン」の2代目司会者を務めていたけど、1990年にTBSを退社。フリーアナウンサーになったわ。
小島一慶さんの幼少期は極貧生活だった
小島一慶さんは母子家庭育ちで、本人曰く「貧しかった」そうよ。
一家には、旅回りの役者だった祖父、博打打ちで「明烏のおはつ」と呼ばれていた祖母もいた。
小島一慶さんはおじいさんとおばあさんの血を強く受け継いでいるわね。
でも祖父が酒乱で暴れていたことから母は耐えられず別居。
子供のころの小島も身に危険を感じると母の元へ逃げ込んでいたということもあった辛い子供自体を送っているわ。
幼稚園から役者に興味を持ち、高校までずっっと演劇部。
[ad1]演劇からアナウンサーに転向
幼稚園の頃から役者になりたかった小島一慶さん。
なぜアナウンサーに転向したのかしら?
高校3年生のある日に東京に出て来た時、先輩に「役者になっても、10年は食っていけないぞ」と言われたの。貧しかった家庭で育った自分の境遇を考えて「これは辛い」と思い方向転換を決意したのよ!
「サラリーマンになろう。なるにしても、面白いことが出来るサラリーマンになる」と思うようになったの。
ナレーターになることを考え付いたが、ナレーターがサラリーマンの何物かその時はわから無い。
更に考えて思い付いたのが、舞台中継もナレーションも出来るだろうとしたアナウンサー!
アナウンサーを目指すようになったのは、少年時代よく聴いていた『コーセー 今週のベストテン』や『ラ・セーヌ ヒットソングアワー』(ニッポン放送)のことも頭にあったわ。
そして日本大学芸術学部入学後はアナウンス研究会に入会。
就職活動ではTBSの他NHK、日本テレビ、フジテレビ、ニッポン放送など総なめにするつもりで受験するも全て不合格。あらら・・・。
卒業論文の単位だけ残して留年することにし、留年中はTBSでアシスタントディレクターのアルバイトをしていたわ。
そして1968年に日本大学芸術学部放送学科を卒業しTBSに入社。見事逆境を乗り越えたのね!
小島一慶さんは不祥事が有名
小島一慶さんは不祥事の多いアナウンサーだったわ。
TBS退社後は、テレビ朝日専属キャスターとして「ホットライン110番」の司会をやってたの。
でも1991年に不倫騒動で全番組を降板、長期休養してるわ・・・。
人気の司会者なのにね・・・。
その後はTBSテレビの『どうぶつ奇想天外!』のナレーションや、TBSラジオの『明日も元気!』にも出演。
でも婦女暴行容疑(示談が成立し告訴は取り下げ)で刑事告訴され、2008年12月31日で両番組の出演を降板。
所属事務所の佐藤企画からも契約満了と同時に退職してる、なんとも歯切れの悪い終わり方をしてるわ・・・。
それでも2014年に復帰。
晩年は赤坂BLITZでパックインミュージックのイベントを白石冬美と行ったり、古巣のTBSラジオを中心に活動していたわ。
小島一慶さんは俳句が趣味
小島一慶さんは麻雀やパチンコが好きだけど、趣味は俳句よ。
俳句結社「玉藻」の星野高士に師事し、一時はカルチャー教室で講師もしていたわ。
「玉藻」(たまも)は、俳誌。1930年(昭和5年)に、父高濱虚子の薦めを受け星野立子が東京にて創刊。
初の女性俳人による主宰誌としてその後の女性俳人の活躍を促すとともに、父の「ホトトギス」の姉妹誌として客観写生・花鳥諷詠の理念を説く。
小島一慶さんの娘は小島慶子?
よく勘違いされるけれど、小島一慶さんとタレント・エッセイストの小島慶子さんは妻でもなければ娘でも無い、赤の他人よ。
名前が似ているし、2人の年齢も絶妙に親子っぽいだけね。
(小島一慶さんは享年75歳、小島慶子さんは47歳。)