今回は訃報です。
日本映画界のレジェンド、仙元誠三(せんげんせんぞう)が2020年3月1日になくなっていたことがわかったわ。
誰もが知っている映画監督よ。
さっそく調べたわ\?( ‘ω’ )? //
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仙元誠三さんの経歴
松田優作さんの代表作や、80年代角川映画の数々を手掛けた名キャメラマンの仙元誠三さんが、3月1日にお亡くなりになりました。https://t.co/RryOQTOB8u
謹んで、哀悼の意を捧げます。 pic.twitter.com/ox3SWHSEZi— 山本俊輔@作家・映画監督 (@yamashunkantoku) March 5, 2020
仙元誠三さんは日本の映画カメラマン、撮影監督。
1938年7月23日生まれで81歳没。
京都府出身で、同志社大学中退しているわ。
1958年8月1日、松竹に入社し、松竹京都撮影所にて撮影助手を務めるの。
1967年にフリーとなり、1969年の『新宿泥棒日記』で撮影監督としてデビュー。
1980年に第1回ヨコハマ映画祭:技術賞(撮影)『蘇える金狼』『白昼の死角』受賞。
1990年に第13回日本アカデミー賞:優秀撮影賞『愛と平成の色男』『オルゴール』『キッチン』『ジュリエット・ゲーム』を受賞。
2014年、平成26年度文化庁映画賞の功労賞を受賞しているわ。
代表作は後術するわね!
仙元誠三さんのはプロ野球選手を目指してた?
デビュー前はプロ野球選手を志しており、阪神タイガースにテスト生として入団していたこともあったわ。
バットよりカメラの方がしっくりきたのかしら?
[ad1]仙元誠三さんの死因
死因は公表されていないわ。
近親者により、密葬は済ませたとのことよ。
公表しないのはご家族の意向でしょうね。
仙元誠三さんは山形県に住んでいた?
2015年11月からは山形県東置賜郡川西町に在住。
仙元誠三さんは京都出身だけど、晩年は山形県に住んでいたわ。
自然が多いところが良かったみたいね。
仙元誠三さんの代表作
撮影監督・仙元誠三さんが亡くなった。50代の映画少年にとっては「最も危険な遊戯」から始まる村川透監督とのコラボ作が記憶に強烈でした。特に「処刑遊戯」のブルートーンの映像と銃撃戦での手持ち長回し撮影の素晴らしさと言ったら!そのクールな躍動感は唯一無比。RIP pic.twitter.com/8ZdzY9xMw9
— 小玉大輔 (@eigaoh2) March 5, 2020
やっぱり『セーラー服と機関銃』が有名よね。薬師丸ひろ子さんや主演している映画よ。
あれは実は仙元誠三さんが監督したものだったのね。
あと『危ない刑事』シリーズ。世代じゃなくても知っている名作ね。
まだまだたくさんあるわ。『西部警察』、『野獣死すべし』、『キタキツネ物語』。
『めぞん一刻』も仙元誠三さんが監督したわ。
ハードボイルドな映画やドラマが多いわね。
もし追悼で、仙元誠三さん映画が放送されたら必ず見るわ!